先日、はてなブログからこんなメールが届きました。
いつの間にか、ブログをはじめてから半年が過ぎていたようです。
「あっという間だったな」という感覚と
「ずいぶん長い時間が経った気がしたけれど、まだ半年か」という気持ちがミックスしている不思議な気分です。
初心を忘れずに、今後も引き続き
- 『イギリスの観光スポットの紹介』
- 『イギリス生活で感じたこと』
- 『今後渡英される方へのちょっとした豆知識』
…などを綴っていく所存です。
それにしても、
『書き残そう、あなたの人生の物語』というフレーズは、
なんとも心を動かされますね。
このはてなブログのスローガンに触れて、
一度自分のことを振り返って考えてみることにしました。
今回は主に筆者の人生の振り返りとなります。
普段扱っているテーマとは関係のない雑記になりますが、次回からはいつも通りの内容に戻りますので安心してください (笑)
この記事に掲載されている写真は2020年秋、地元の Salfordエリアでお散歩中に撮った写真、第二のロックダウン前にManchester市内で撮った写真です。(制限が緩和されるのは12月2日の予定となっております。)
私は音楽は全くできないのですが、音楽を聴くのはめちゃくちゃすきです。
日本で働いていた時は、仕事終わりに(もしくは遠征をする場合は有休を取って)ライブハウスやコンサートホールへよく足を運んでいました。
自分でも何か楽器ができたらいいなと思ったこともありましたが、
人生のかなり早い段階で一度挫折しております。
幼稚園の頃にピアノを習わせてもらっていましたが、両手を使うことが私には難しすぎて、とうとう最後までそのハードルを乗り越えることができませんでした。
幼稚園の頃の記憶はあまり残っていないのですが、最後の発表会の日だけは今でも鮮明に覚えています。
他の幼稚園児はみんな優雅に両手でエレクトーンを弾いていたのに対し、
自分だけ専用のテーブルを用意してもらい、ウッドブロックとタンバリンとカスタネットの3つを曲によって使い分けていました。(逆に目立つ)
これが恐らく、私が人生で一番最初に味わった挫折だったと思います。
『どれだけ頑張っても自分にはできないことがある、そしてそれは他の人にとっては容易にできてしまうことだったりする。』
幼稚園児にとってはかなり残酷な現実です/(^o^)\オワタ
そして、すでにこの時から自分が苦手だと感じること、難しくて頭が痛くなってしまうようなことからは全力で逃げ出すという特技も身に着けていたと思うと素直にビビります。(忍耐力という言葉を知らなかった当時の自分…)
思えば私の人生は、嫌なことからひたすら逃げ出しまくって、逃げ出した先でもまだなんとかできると思ったことを必死に続けてきたような、そんな毎日の連続だったように思います。
英語の勉強も、逃げ道の途中に見つけたようなものだったのかもしれません。
私は小学生の時から算数・数学が大嫌いでした。
もう授業を受けるだけでも頭痛がするような、体から拒否反応が出まくっていました。
銀行員だった母は数字に強く、幼い頃はいつも隣で勉強を見てもらっていましたが、正直「数学が人生の何の役に立つの?この世から消滅してくれればいいのに」と毒づきながら、義務教育なので仕方なくやっていました。
母の支えがなければ、義務教育で教えられる範囲ですらやり遂げられなかったかもしれません。
高校は数学をやらなくてもいいところにしようと決めていました。
ちょうど家から自転車で15分くらいで通える範囲内に公立の高校があり、そこが総合学科だったため迷わず受験。
普通科の学校とは違い、大学のように自分の好きな科目を選択し、自由に時間割を組めるところが魅力の総合学科。
苦手な数学は必須の数Ⅰ・数Aだけを取り、あとは排除。
有名な総合大学は基本的に5教科全科目で一定の点数を取らないといけないため、入学した当初からすでにその道は諦めていることになります。
あまり進学校というイメージではなかったのですが、中には受験に必要な教科をまんべんなく選択し、総合大学へと進学している人もいました。
嫌なことから逃げることしか考えていなかった私は、ここで現実を突きつけられることになります。
進学校ではなかった反面、生徒の大半はすでに自分のやりたいことが明確に決まっていました。
音楽やアートの才能がある人、保育や福祉関係に進みたい人、
みんな自分の大きな夢のために頑張っていて、
やりたいことに専念するためにここに来たという人がほとんど。
必修の授業では、自分の将来就きたい職業についてプレゼンをしたり、その職業に就くために必要なスキル・向いている人柄などをまとめて情報誌のようなものを作る機会もありました。
そういうワークの時は楽しそうに、真剣に取り組んでいる人達ばかり。
目指すものなんて何もなかった私は、いつもその場しのぎで適当に職業を選び、適当なことを言ってなんとかやり過ごしていました。
自分で選んだ学校でしたが、周りとの温度差がありすぎて
将来の夢がない自分に劣等感を抱く毎日。
「未来のことなんてわからないよ」と言ってしまえばそれまでですが、
それでも夢に向かって頑張っている人達に囲まれて過ごしていると、何も持っていない自分がひどく惨めに感じました。
自分にとってターニングポイントとなったのは、高校一年生の春休み。
公立高校でしたがニュージーランドに姉妹校があり、
希望者は約2週間のホームステイを体験することができました。
私が申し込んだときは特に希望者が溢れていたわけでもなく、費用を支払えば誰でも参加可能というラッキーな状況でした。
かなり個性的な学校で、そこで勤務されている先生方も変わっている人が多く、旅好きの先生がたくさんいらっしゃいました。
(英語の教師だけではなく、科学や公民などを担当されている先生で世界50か国を旅されたことがある人も!それこそ「旅のプロ」が勢揃い。)
その先生方が付き添ってくださり、旅行会社に支払う金額を極限まで下げてくださっていたため、破格の価格でプログラムに参加することができました。尽力してくださった先生方には感謝してもしきれません。
数学は吐き気がするほど嫌でしたが、語学学習はそこまで苦痛に感じなかったのと、
「なんとなく面白そう」という単純な理由で、親にお願いしてこのプログラムに参加させてもらうことになりました。
この期間中にちょうど誕生日が重なっていたので、
16歳の誕生日はニュージーランドのクライストチャーチでホストファミリーと一緒に過ごすことになりました。
海外に出たのはこのときが初めてで、目に映るものすべてが新鮮。
人とのコミュニケーションの仕方も、その土地に流れている時間の感覚も、匂いも、全部が日本で慣れ親しんできたものとは全く違っていて、まさにカルチャーショックを受けました。
それがきっかけとなり「もっと広い世界を見たい」という想いが強くなり、気が付いたら今、イギリスで生活をしています。
これからどの道に進めばいいのか悩んでいた15歳の時から、もう倍の時間を生きてきたんだなと思うと、ずいぶん歳をとりました。
ビザが切れて帰国する頃、もう20代も終わってしまうと思うとかなり長く生きてきたような気もしますが、
それでもまだあの頃と同じ悩みを抱えているとは、人間なかなか成長しないものですね。
ただ、こうして振り返ってみたことで見えてきたことが1つありました。
それは、「やりたいことが見つからなくても、自分のしたくないことは嫌でも出てくるし、嫌でもそれに気が付く」ということ。
帰国した後どうやって生きていこうかな、どう進めばいいかなと考える機会が最近増えましたが、
「自分のやりたくないことをしない」というのを一つの軸として考えるのもありかなと思えてきました。
消極的な考え方のようにも聞こえますが、どうすればいいか身動きが取れなくなったときは、
「好きか嫌いか」「やりたいかやりたくないか」、自分の原点の感情まで遡って考えてみると、意外と生きること・選択することはとてもシンプルなことだと気付くことができそうです。
生きることは選択をすることの連続。
自分の意志で選ぶことが許されず、誰かの指示を受け続けると自由が欲しくなりますが、
反対にすべて自己判断で選ぶ権利を与えられれば、その決定に伴う責任も負わねばならず、ときに選択をするのが苦になることもあるかと思います。
判断を下すことに迷ったとき、選択をするのに疲れたときは、少し立ち止まって原点である自分の感情を見つめ直し、自分と向き合って考える機会を作りたいなと思います。
今まさに人生の岐路に立っている方、
漠然とした将来の不安を抱えている方、
人生にある程度満足はしているけれど、
何か物足りなくて新しいことにチャンレンジしたいと考えている方、
様々な葛藤を抱えている人がいると思います。
生きているといろんな悩みがあり、それが尽きることはありませんが、
その不安や悩みも自分を創っている大切な一部として大事に扱い、
自分を偽らず、等身大のありのままの自分で納得して進んでいけたらいいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございましたʕ·ᴥ·ʔ ♡︎⋈*。゚
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