ちょうど先月で、スロバキアに来て丸3年が経ちました。
そしてようやく、スロバキアのシンボルであるタトラ山脈(今回はホポックとデュンベル)に登頂することが叶いました!
旅をしているとき以外は基本インドアで、
まったくスポーツをしない、体力にあまり自信がないタイプですが、
そんな私でも、友達の力を借りてなんとか登りきることができました。
今回は人生で初めて本格的な山登りをした記録として、思い出を写真と共に残したいと思います。
いつもは検索流入を意識して、これから実際に旅をされる方に役立つ内容になるよう心掛けて書いていますが、今回は個人的な単なる写真日記です。自然の美しさが伝わると嬉しいです。
ブラチスラバからタトラ山脈付近へは片道車でも2時間半以上かかるので、
途中、他の街に立ち寄りながら、観光も兼ねて週末旅行をすることに。
旅行の企画、宿の予約、運転をしてくれたのは、去年から仲良くしてくれている大切な友達。
金曜日の仕事終わりに、ブラチスラバからバンスカー・ビストリツァへ。
坂になっているのが珍しい中央広場。
大きな噴水があり、花壇も整備されていて美しい景観が保たれていました。
バンスカー・ビストリツァの美しさを最大限に楽しめるのは、時計塔からの眺望。
街全体が全方面、山に囲まれています。
入場料は、大人 € 2、学生・子供 € 1 (2025年5月当時)
※チケットは正面入口で購入し、その後建物をいったん出て、中央広場から見てぐるりと左側(カフェの屋根の下)にまわり、チャイムを押すとチケットカウンターの受付の方がロックを外してくれます。
ミサ中だったのでガラス扉越しに後ろからひっそりと眺めただけですが、
とても美しい教会☟
Kostol nanebovzatia Panny Márie
この教会前にある、現在はレストランとなっている元お城もかわいい。
Mestský hrad
中央広場の建物もカラフルでかわいく、歩いているだけで穏やかな気持ちになれる街でした。
いつか行きたいと思いつつ、機会を作れずにいたので、今回やっと立ち寄ることができてとても嬉しかったです。
ただ驚いたことに、誘拐された(?)子供とその犯人らしき女性が映った写真のポスターが街のいくつかの場所で貼られていて、そのポスターを友達がじっと見ていたところ、知らないおじさんがすたすたと近寄って来て、ポスターを目の前でビリっと破いてゴミ箱に捨てたのはまるで映画のワンシーンのようでした。
ショッピングセンターの近くでも、ホームレスのような老人の方が一人で怒鳴りながら、時折ものに激しく当たりながら歩いていて、少し怖い思いをしたのも事実。旧市街は安全な雰囲気が漂っていましたが、忘れられない衝撃的なことも起きたのが印象に残っています。
少し後味の悪さを残しつつ、低タトラ山脈付近にある予約してくれた宿へと向かいました。
泊まったのは、Mýto pod Ďumbierom という村にある宿泊施設。
登録されている場所に着いたものの、Booking.comに記載されている電話番号にかけても繋がらず、たまたま帰宅されたご近所の方に助けを求めることに。
ゲートの鍵が開いていたようで、ご近所の方が敷地内へ入ってくださり、ドアをノックしてくださったところ、かわいい宿主のおばあちゃんが出迎えてくれました。
もちろん英語は通じないので、一人だったら(そもそも運転できないからここまで来れなかっただろうけれど)どうしようとパニックになっていたと思います。
友達が電話番号が違うことを伝えると、何度も申し訳なさそうに謝ってくれたり、ファイヤープレイスの薪を運ぶのを手伝ってくれたり、夜に近くのパブへ向かう私たちに「気を付けてね」と声をかけてくれて、優しく温かいおばあちゃんに癒された私たちは、その他にも起きたちょっとした不便なことなんてどうでもよくなりました。
泊まった宿のお庭から見える景色
大都市にいると人との関りが薄れるのは日本だけでなく、世界中どこでも起きる現象だと思いますが(ブラチスラバは「大」都市とは呼べないかもしれませんが、それでも都会の冷たさのようなものを感じる時もあります)、
小さな村には独特の空気感というか、人の温かさを思い出させてくれる何かがあるなぁと改めて体感しました。
翌日は4時起き。
5時過ぎには荷物を車に積んで、ハイキングのスタート地点へ。
5月末(下山するのは6月1日)でしたが、その1週間前、山頂は雪が積もっていて真冬のようだったため、セーターやジャケット、軽食などその他もろもろの荷物をリュックに詰め込んだ結果、8 ~ 9kgの重さに。
普通の道を歩くのもしんどい重さのバックパックを抱えて、いざ出発。
(ちなみに他の登山者の多くはめちゃくちゃ軽装でした笑)
記憶に残る最後の登山は、大学生の頃、体育の授業で登った京都の比叡山。
その他は小学校・中学校の遠足くらいで、私にとってこれが人生初の本格的な登山体験となりました。
(大学生の頃、夏休みにバンクーバーに1か月間語学研修に行ったときも、アクティビティの一環でハイキングをした記憶がありますが、どこの山だったのか、どれくらいの高さだったかはまったく覚えていません。)
もう無理、疲れた、休憩したい、と泣き言を吐く私を根気強く励ましてくれて、
何度も立ち止まってのろのろペースに合わせてくれた友達。
推定時間よりも遅くなりましが、なんとか最初の目的場所である宿泊施設も兼ねたレストラン・パブへ。
着いて早々、人懐っこいねこが近寄って来てくれました。
他の登山者にも上手に甘えていて、てっきりお店の飼い猫なのかと思いきや、
前日は見かけなかったそうで…。出会えたのは本当にラッキーでした。
(May 2025)
猫と戯れ、スープを食べてエネルギーを回復し、再出発。
まずはDumbier(デュンベル)を目指します。
それでも一部残っていました。
日が当たらず、強い風が吹くと寒いと感じましたが、歩き続けているとジャケットなしでもちょうどよい暑さ。
ヤギのようにぴょんぴょんと駆け上がっていく、登山慣れしている人たちとは対照的に、10分歩いては立ち止まる自分の体力のなさに凹みながらも、
なんとか最初に目指した山、Dumbier 登頂。
シンボルであるダブルクロス
ワインをボトルで開けて飲んでいる人達もいて、さすがスロバキアだなぁと思ったり。
友達はラキア(アルバニア旅行でお土産として渡したお酒)を持って来てくれていて、頂上で飲んでいました笑
日本での登山を経験したことがないのですが、日本でもお酒を飲む人たちは多いのでしょうか。あまりイメージが湧きません。
少し休憩した後、次の山ホポックを目指して出発。
上ってきた岩道をまた降りて、歩き続けます。
景色は最高に美しいのですが、崖の岩場を歩くようなルートで、
一歩足を踏み外して転げ落ちたら死が待っていると思うと、スリルと隣り合わせ。
(残念ながら実際に、雪が積もる冬の時期に登山をされた方で亡くなった方もいるようです。チェコ人が多いらしい。)
早く進みたい人たちに道を譲りながら、終始私のゆっくりペースに合わせてもらい、
いよいよホポックが見える中間地点に。
ハイタトラのラストスパートは、鎖を掴んで登らないといけないようですが、
低タトラはそこまでではないにせよ、場所によってはかなりの急傾斜。
最後の岩場はひとつひとつの岩の高さがかなりあるので、手を使ってよじ登る形で上がりました。
頂上に辿り着いた時はすでに夕方になっていて、私たち以外は誰もおらず…
その日は夜の7時から嵐の予報が出ていたので、頂上からの景色を少し楽しんだ後、慎重に、でも急ぎ足で下山しました。
普段から運動をしない私にとってはかなりハードな登山だったため、疲労困憊でしたが、久しぶりに自分にとっては難しいことを「やり遂げた」という達成感を感じることができました。
当日は、頂上付近にある宿泊施設、Kamenná chata pod Chopkomに泊まりました。
(May 2025)
Wi-Fiは飛んでいませんが、有料でシャワーを使うこともでき、
食事もさまざまなスロバキア料理を楽しむことができます。
スープが食べたい気分だったので、スロバキアの定番料理「カプスニツァ」を。
(May 2025)
カプスニツァやその他のスロバキア料理・おすすめのブラチスラバのレストランついては、こちらの記事でご紹介しております☟
清潔で明るく、スタッフの方や宿泊者の方もみんなフレンドリーで、居心地のよいコテージ。
(May 2025)
翌朝も同じ席で朝食をいただきました。
(June 2025)
朝ごはんをしっかり食べた後は、駐車場を目指して山を下ります。
岩の道を降りるのが怖くて、登りよりもスローテンポになってしまいましたが、ケーブルカーを使わずになんとか自力で降りることができました。
疲労がピークの状態で、目指したのは Aqua City Poprad。
数か月前にクーポンが出ていたときに、友達が教えてくれて、1日入場券を割引価格で購入していました。
プール自体、何年も入っていませんでしたが、
屋外プールにはウォータースライダーもあり、10年ぶり以上に遊んだ気がします。
歳を重ねた今だからこそ、童心に戻って遊べる友達がいることがどれだけ恵まれているのかを実感します。
いつでも一番近くで支えてくれる、味方でいてくれる友達の存在には、感謝してもし尽せません。
タトラの山登りもプールも、昨年はキャンプや湖で泳いだり、
もともと一人で行くことが多かった海外旅行も、その友達と一緒に体験することでより特別なものになりました。
(はじめて一緒に旅をしたのはスウェーデンのストックホルム。その後は冬のアイスランド、イタリア・ローマ、そして4月に巡ったバルカン半島旅行。)
その子に出会ってから外でのアクティビティも増えましたが、家でスロバキア料理を作ってくれたり、スロバキアやチェコの音楽・映画を楽しんだり、
本当の意味で「スロバキア」を体験できたのはその子のおかげ。
スロバキアのロビン・フッドとも呼ばれる、ユライ・ヤーノシーク(Juraj Jánošík)の像。
裕福な人たち(現在のハンガリー人)から金品を奪い、貧しい人たちに富を分け与えたと言われています。
Aqua City Poprad からの帰り道に、Salaš(「サラシュ」伝統的な牧羊🐑酪農の小屋、または農場のことで、新鮮なチーズ🧀や乳製品🥛を販売しており、レストランでは伝統的なスロバキア料理を楽しむことができます。)に立ち寄りました。
ここはハイウェイに直結していて、ドライバーのために24時間営業しているサラシュ。
またひとつ、特別なスロバキアでの思い出が増えた週末になりました。
最近はスロバキア情報をブログでなかなか更新できていませんが、いつかスロバキアのかわいい♡ を詰め込んだ本を出版したいと考えています。
ブラチスラバ情報が中心になりますが、スロバキアの他の地域も含めた、
この国だからこそ楽しめるアクティビティなども紹介したいです。
その際は当ブログでも告知させてもらいます。
思い出の振り返りに付き合ってくださり、ありがとうございました ⚘⚘
貴重なお時間を割いて最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました ⸜( ´ ꒳ ` )⸝ ♡♥
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