私は「木漏れ日」という言葉が好きです。
その単語を聞くとなんだか心が温かくなる気がするし、「こもれび」という音の響きも可愛い。
言葉一つで情景が思い浮かび、優しい気持ちにさせてくれる。
こんなに素敵な言葉ですが、残念ながら英語には存在しません。
もちろん、「木々の隙間から指す陽の光」という風に説明することはできますが、
「こもれび」のように一語で表現できる単語がないのです。
これを知ったのは数年前。
「木漏れ日がきれいだね~」と言おうとして、
「あれ?木漏れ日ってそういえば英語で何て言うんだっけ?」と気になり調べた際に、そういう単語は存在しないのだと知りました。
『わび・さび』など、日本人特有の美的価値などを表す言葉は他言語には存在しないため、その言葉を使用する上でその文化的背景から伝える必要がありますが(もっとも最近はこの概念が世界的に広まり、 “ Wabi Sabi ”として通じるようにもなりつつありますが)、
普遍的な対象物で、普段から何気なく使用している言葉でさえ、
言語によっては存在しないというのはなんだか切ない気持ちにさせられます。
そう言えば「切ない」という言葉も、
英語でどう表現すればよいのかいつも困惑しています。
「切ない」をそのまま翻訳しようとするとsad や distressing, sweet sorrow, nostalgic ( 文脈によって異なりますが ) といった 単語が出てくるのですが、「悲しい」や「寂しい」とは違うんですよね。
このなんとも言えない胸が締め付けられる感じ。
「切ない」という言葉に込められている感情が複雑すぎて、自分でもよく説明できないのですが、
言葉の持つ威力は想像以上に大きいなと実感します。
よく「言語と文化は密接に関係している」と言われますよね。
確かに「お疲れ様です」や「いただきます」など、日本独自の習慣や考え方に関わる言葉もたくさん存在しています。
一つの言語を習得しようと思うと、やはりその文化も深く知ることが必要不可欠になってくるわけです。
はっきり言って日本語はとても複雑で難解。
「ひらがな」「カタカナ」「漢字」を使い分け、敬語なんてもはや別の言語のよう。
世界中で日本人しか使わない言語なのに、なんでこんなに難しいのかとイライラすることも多々あります。
きっとこれが母国語でなければ自らから進んで習得しようとは思わなかったはず。
英語圏で生まれ育っていればどれだけ楽だったろうと
悔しく思うことも少なくありませんでした。
それでも、もし日本語を知らずに生きてきたとしたら、
「切ない」という感情を持つことすらできなかったのかな?
「木漏れ日」が美しいと、同じ景色を見ても感じなかったのかな?
そう思うと、もし日本語を知らずに生まれ育っていたら、
今の私とは全然違う考え方を持っていたのかもしれないと少し怖くなりました。
私は人と会話をするときに擬音語を用いる頻度が高いのですが(典型的なO型の特徴でしょうか?笑)、
英語にも擬音語はあると言っても日本語ほど豊富ではないので、
いつも的確に表現することができず ぐわぁぁあああ!!と叫びたくなります。
自分の思考や感情を言語化しきれないと、なんだか煮え切らない気持ちになってしまいますよね。
「ああ、日本語を使いたい!」と何度沸々とした感情が湧き上がってきたことか。
母国語を用いても、自分の感情を相手に伝えることは難しいのですけれど…。
日本語の煩雑さに憤りさえ感じることもしばしばありましたが、
そうは言っても「私」を作り上げてきたのはやはり日本語。
言葉と心は切り離すことができない強いつながりがあると思います。
今後、少しは英語を流暢に話せるようになる日が来たとしても、他の言語を学んで使用する機会があったとしても、私は日本語の美しさを忘れることなく、日本語の母語話者としての誇りを持って生きていきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございましたʕ·ᴥ·ʔ ♡︎⋈*。゚
▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃
ブログ村のランキングサイトに登録しています。
下の【イギリス情報】と書かれたバナーを押して
応援していただけると励みになります 。
よろしくお願いいたします(人ω・*)